「She sees the sea 〜Sea that is with her〜」
1.Single -In Cross Materia- ―――カキカキカキ。 ―――カキカキカキ。 ―――カキカキカキ、ペタコンっ。 「だぁぁぁぁぁーーーーー!!!!! つっかれたぁぁぁーーーーー!!!!!」 雄たけびと共に大きく伸びをすれば、背中と腕の関節がバキバキ音を立てる。ついでに首を回せばこちらも物凄い音を立てた。これだからデスクワークは嫌いだ。 うんざりして顔を顰めた視界の端で、ちらちら光の欠片が踊る。朝露に濡れ光っていた木々の葉はすっかり乾ききり、午後も半ばの太陽を反射して輝いている。どうやら昼食を食いっぱぐれてしまったようだ。 「あ〜あ、今頃あの二人は温泉地でいちゃついてんのかねぇ〜〜」 温泉の沸く観光地として有名な世界の北東に位置する小さな小さな島、セージェス島。その島唯一の街にして『解放都市』の名を持つセージェス街に、幼馴染とその上司兼恋人が魔導軌跡の痕跡調査に赴いて早数日。魔導とは無縁の辺境の島のこと、きっと調査もとっくに終わり、久しぶりに恋人と二人きりの甘い時間を存分に過ごしていることだろう。 「あ〜〜、ミリアのことだから、地方限定抱き枕ゲットに燃えてるかも……」 付録とか、オマケとか、地方限定とか、スタンプ集めとか、スタンプラリーとか、そういったのに妙に燃える幼馴染のことだ。可能性は大いにある。あんまり恋人を放って夢中になって、独占欲の塊の青年に実力行使に出られてなければいいのだが、それもまあ、恋人同士のいちゃつきの一環と言えなくもなかったりするのがアレだ。 「ほんっっっと、イ〜〜イ天気だよなぁ〜〜」 書類に埋もれている身には恨めしいばかりの空を見上げ、幸せが裸足で全力逃走しそうな大きな溜息を一つ。 窓外に覗くは、抜けるような蒼穹と沁み入る深緑。風に揺れる木々の葉擦れが何とも目に優しい。 それに引き換え、窓内に展開するは、どうしても気分的に薄暗さが付きまとう無機質な白壁と事務机の並び。採光窓は広く取られている癖にどうしてこう外の爽やかさと一線を画すのか、実にくだらないのは承知の上で一度じっくり突き詰めてみたい衝動に駆られる。 そして、目の前で堆く塔を成すは、未処理の報告書の山、山、そのまた山。さらには、未決済の領収書のこれまた山、山、そのまた山。決してさぼっている訳でもないのに、何だってこんなにも溜まるものか。人を仕事漬けにすることに生き甲斐を感じてるんじゃないかと日々疑わしく思っている上層部と、一昼夜膝を突き合わせて話し合いたくなる。どうせ無理だろうが。 このふつふつと暗い殺意を抱かせる不毛な山を見るたび、思うさま机ごとひっくり返せたならどれだけすっきりするだろうと思う。後始末を考えるだけで、擬装用の遺書と踏み台を用意したくなるのでやらないけれど。 世の中には決して身を任せてはいけない衝動があるものだ。人生に決して踏み込んではならない道があるように。一見とても甘く香しく魅力的で、選んだ直後は大変満足するだろう。しかし、後悔とは後で悔いるからこそ後悔なのだ。衝動に身をませる前に、選択した結果を想像してみると良い。十中八九は碌な結果に繋がっていない。世の中そんなものだ。 「はぁ〜〜、お仕事しますかね……」 いろいろと世の無常を嘆きつつ、インクの乾いた書類を処理済箱に放り込み、新たな一枚を山の頂上から取り上げた。 ―――カキカキカキ。 ―――カキカキカキ。 ―――カキカキカキ……ぺいっ。 「もう夕方かよぉぉぉぉーーーーー」 要は視界に入らなければ良いのだ、とばかりにひたすら目の前の書類だけを親の敵の如く睨みつけてデスクワークに勤しむことさらに数時間。窓から差し込む赤味を帯びた西日に今日一日事務処理をやっつけていたことを知り、思わずペンを放り出し机の空いた隙間にぺたりと懐いた。 「俺も潤いが欲しい……」 人生概ねままならないものだ。 初恋の女は、ずっと傍にいた自分の隣で他の男に惹かれ、その男の為に持てる全てを賭け、彼女の初恋を成就させた。 彼女が恋した男もまた、彼女の為に己の全てを賭け、彼女と生きる未来を手に入れた。 己はただそんな二人の傍で、その想いの成就を手助けすることしかできなかった。 彼女の笑顔が好きで、彼女の幸せだけが大切で。 だから、己の想いなど一生叶わなくて良かった。一生伝わらなくて良かった。一生彼女が幸せに笑っていれば良かった。 その想いは、生涯変わらない。 生涯変わらないけれど。 ただ、時折思うのだ。 自分にも、自分を一番に思う女【ひと】が居ればいいのに、と。 父に母が居たように。 母に父が居たように。 彼女に彼が居たように。 彼に彼女が居たように。 自分にも『誰か』が居れば良いのに。 『誰か』の為に自分が居ればいいのに。 それは必然か。 それは偶然か。 それは定めか。 それは気まぐれか。 それは、何者の采配か。 夢と現【うつつ】が繋がる。 現【うつつ】と夢が繋がる。 現【うつつ】は夢を通じて現【うつつ】に繋がり。 現【うつつ】と現【うつつ】に〈路〉が繋がる。 誘う。 導く。 此処に。 何処かに。 求めるひとに。 さあ、出逢っておいで? |