「皓く柔らかな月明かりの下で」
 
「ほんに良き夜だこと」
 涼やかな音を立てて広げられた桜の透かしの扇に紅い花雪を受け女が微笑む。清雅な滝の如く華奢な背に流れる鴉の濡れ羽色の髪が女の動きに伴って音も無く肩を滑り落ちる様に、傍らで朱色の杯を傾けていた男が黄玉の双眸を眇めた。
「全くだ。咲き誇る山茶花を肴に花月見酒と洒落込むに持って来いのいい月夜だ」
「まこと。お二方も来れれば宜しゅうおしたのに」
「北のと東のは用事があるらしいからなぁ」
 中途半端な長さの淡い彩の髪を項で無造作に括った男が小さく苦笑を零すと、唇の端から鋭く尖った八重歯がちらりと覗く。女は朱金の双眸を細め、扇で口元を隠しながら上品に密やかな声を上げて微笑んだ。
「致し方無きとはいえ、やはり皆が揃わぬは哀しいこと。次はぜひ全員で集まりとうおすなぁ」
 夜の闇に映える緋色の裳裾が、淑やかな歩みに蝋燭の炎のようにゆるゆると揺れる。月明かりに金色を纏う淡い髪を肩ごと揺らし、男は楽しげに応えた。
「そうだな。次はぜひ皆で酒を酌み交わしたいな」
 慣れた手つきで手酌をしようとする男の手より女がついっと銚子を取り上げ、優雅に傍らに侍ると静々と空いた杯に酒を満たす。唇に刷いた艶やかな笑みは夜の空気さえ染め、芳しい酒香がより一層立ち上り辺りを染め上げる。飲まれそうな空気に、されど男は身動ぎもせず、会釈で謝意を示しくいっと無造作に酒を煽る。口端から零れた一筋の透明な雫が日に焼けた喉を滑り落ちる様が妙に艶かしく、喉から口元にかけてぐいっと無造作に手の甲で拭った仕草に粗野な色香が纏わりつく。
「良い飲みっぷりだこと」
 ほうっと息を吐く女に男は悪戯な笑みを閃かせると、己が今し方煽った朱塗りの杯を傍らで品良く微笑む女に押し付け酒を満す。
「俺独りで飲んでもつまらん。南のも飲め」
 男の強引な仕草に女は面白そうに笑み、花弁の如く紅い唇に両手で捧げた朱塗りの杯を寄せ上品に飲み干す。白い喉がゆっくりと上下し、熱い吐息が零れ落ちる。ほんのり赤味が差した白い頬がえもいわれぬほど美しく艶かしい。
 何度も何度も流し込んだ強い酒気はかっと胃の腑を焼き、絶えず浮かべられ続ける女の笑みは心の臓を揺らす。
 男が幾たび目か煽った杯の向こうで、皓く柔らかな月明かりが社の屋根の上で繰り広げられる酒盛りをただ夜闇に浮かび上がらせていた。
 
 
END. 

 

 

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