「辿り着くかたち」
 
 ―――ミーン、ミーン。
 
 夕方にはツクツクボウシが鳴き始めるお盆過ぎ。夕暮れに吹く風は涼しく、もう暫くは飾って置こうと吊るしたままの風鈴がチリンチリンと優しい音色を奏でている。
 少し冷たさを含んだ風の中、水を満たした手桶を片手に玉砂利を踏んでいた少年は、木々の葉に反射する随分と柔らかくなった入り行く陽射しに双眸を細めた。
 滴る様な緑を湛えた樹木も、もう一月もしないうちに鮮やかな錦を纏いて今年も別れを飾るのだろう。その姿はまさに有終の美。いったい、この世に樹々ほど未練も足掻きもなく美しく別れを告げるものがあるだろうか。彼らは何も言葉にせず、さりとて何よりも雄弁に終わりを告げ、そしてまた始まりを告げる。やるべきを果たし、在るべきを示す、何一つ言い訳も弁解もせずその時にでき得る最高を以ってして在り続ける彼らの姿はきっと何よりも美しい。
 今は濃い緑を纏う樹々を声も無く見つめ、少年はまた柄杓を入れた手桶を片手に静かに玉砂利を踏み締めた。
 
 
 
 お盆に帰省できる人ばかりではなく、また、お盆だからといって帰省する人ばかりでもない。
 遠く遠く離れた地に家族を築いた者達は、その地こそが新たな故郷となるのだ。何もかもに追われる昨今、かつての故郷をも省みろとは言えない。まして、待つ者の居ない、帰る家の無い地では―――
 
 ―――コトン。
 
 文字が刻まれた端々を薄く覆う苔を丁寧に取り除き、風に飛ばされて溜まった土や落ち葉ごと近くの樹の根元に捨てる。加工物と違って一冬越して腐葉土となるだろう。
 柄杓でゆっくりと水をかけ、白っぽく乾いていた石が黒々と輝きを取り戻したのに小さく微笑む。からからに乾いた竹筒に手桶に刺してきた釈迦木を活け、鮮やかな色彩纏う小花をそっと添える。
 手桶を下げ膝を付くと、静かに手を合わせ、無心で頭を垂れた。
 
 万物は死ぬと神になる。
 
 仏とは死したもの。仏とは拝み、尽くし、敬い、やがていつかは自らも迎え入れられるもの。そして、いつかまたこの世に巡り落ちてくるまでに在る姿。全ての存在に、等しく訪れる形。
「精が出ますねぇ。いつも有難うございます」
 顔に日焼けの染みが幾つもあるお婆さんが、気持ちの良い笑顔で丁寧に頭を下げた。真の品の良さは皮一枚だけで表れるのではない。その人の根本から滲み出るのだ。よく働きよく生きた彼女の顔は、染みさえもが証たる勲章となって美しい。
 彼女に笑顔に目を細め、少年はゆっくりと頭【かぶり】を振る。にこにこと微笑む彼女に丁寧に会釈をし、少年は空になった手桶を提げて再び玉砂利を踏みしめる。其処此処から掛けられる穏やかな挨拶に一つ一つ会釈をして答え、水場に歩んでいった。
 
 生きるものは死して神となる。
 
 ならば、彼らに尽くすのもまた、神に仕える一環なのだろう。少年は小さく肩を竦め、陽が沈んでしまうまでにあと数回往復できるだろうかと手のひらを翳して西の空を眺めた。
 
 此処はやがて自らも辿り着く場所。
 やがて巡り来る形の一つ。
 
 
 
 おまけ
 
「腰がイテェ〜〜」
「若いもんが何言ってんだか……」
「………幾ら若かろうが水いっぱいの手桶提げて何往復もすりゃ腰の一つも痛むに決まってんだろーがっ!!」
「お〜〜い中学生?」
「昨今の中学男子の脆弱さ舐めんなっ」
「……自分で言ってて哀しくならないか?」
「同情たっぷりに見下ろしてんじゃねぇ!! 屋根の上で一杯やりながら言われっとなおさら腹立つんだよっ!! 降りてきやがれっ!!」
「いや、今降りてくと盛大に八つ当たられそうだし」
「だーーー!! マジ腹立つコイツ!!」
「………ほんに屈折した愛情表現よのう」
「こういうのを中二男子と言うのでしょうか?」
「さて。儂の歳ではよう分らんな」
「ほっときなさいな、いつもの事よ」
 少年の母親の一言に、十二単の美女と青袴の娘、茶の羽織の翁は、白い着流しの同僚と礼儀として夏の残暑の中でも白狩衣で作業していた黒髪の少年のいつものやり取りに揃って肩を竦めて酒盃を干した。
 これもまた平穏の形なのだろう。
 
 
 
「辿り着くかたち」END.

 

 

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