「行く年、来る年」
 
 其処は何処【いずこ】に繋がっていたのだろう。
 其処では老若男女の様々な者達が鮮【あざ】やかな朱塗りの杯を片手に、ある者は陽気に、ある者はしみじみと、互いに杯を酌み交わしていた。
「うむ。今年も無事に暮れたな」
 一人の青年が暮れ行く年そのものに敬意を表するかのように杯を掲げ、なみなみと注がれた酒を一息に飲む干す。その隣で小皿に肴を取り分けていた翁がしみじみと頷き、箸を置き同じく杯を掲げた。
「真【まこと】に。翌年も良き年になれば宜しいですな」
 験【げん】を担ぐように、やはり一息で飲み干された杯に、傍らに侍っていた十二単の美女が彼女の唇のように赤い銚子から空かさず酒を満たす。美女は桜の透かしの入った扇で艶【つや】やかな唇を隠しながら、甘露の如き甘やかな声音で上品な笑い声を発てた。
「本【ほん】に。来年も退屈する事無き年だと宜しゅうおすなぁ」
 鴉の濡羽の如き黒髪をさらりと揺らし、紅玉よりもなお美しい朱金纏う切れ長の瞳を糸の様に細め微笑む美女の発言内容に少々眉を顰めながら、この集まりの中では最も若き姿をした娘が冬の早朝を思わせる凛とした様子で真面目に頷いた。
「方々のおっしゃるとおりですね。来年も今年と同じく穏やかな年であると良いです」
 すっと杯を掲げ飲み干す白い喉には、その姿形に相応しく色香よりも清々しさがある。酒宴の席であってもどこか堅苦しさの抜けぬ娘に、翁は孫娘を見るような優しい眼差しを向け、美女は扇をひらめかせながらくすくすと笑んだ。
「そなたは相も変わらず真面目だのう。いつもその様に肩に力を入れていては疲れようほどに」
 美女がはんなり微笑めば、青年が娘の杯に酒を注ぎながら器用に片眉を上げて見せた。
「そう言うな、南の。これが東のの持ち味。こうでなくば此方の調子が狂うというものだ」
 おどける青年を軽く睨みながらも、娘の瞳はいつになく寛いでいる。普段は深山に積もった雪の如く白く凛とした頬も、今は酒精にほんのり染められえもいわれぬほど美しい。
 娘が白魚如き手に銚子を取り、青年の杯に清らかな彩【いろ】を湛える香しき清酒を満たせば、青年は軽く掲げて謝意に代え、くいっと美味そうに飲み干す。次いで、娘の手より銚子を取り上げ、恐縮する娘に杯を勧めるとなみなみと酒を満たした。
「今宵は古き年の暮れにして、新しき年の曙。久方ぶりに揃いし事を肴に飲み明かそうではないか」
 青年が陽気に杯を差し出せば、他の者達も次々に杯を掲げ飲み干した。
 遠くで百八の鐘の音が鳴り響く、この音が途切れれば新しき年の始まりだ。
 ―――ごぉぉーーーん。
 ―――ごぉぉーーーん。
「さて、あと幾つだったか?」
 翁が鐘の音に耳を傾けながら、肴を摘まむ。
 ―――ごぉぉーーーん。
 ―――ごぉぉーーーん。
「さぁ。六つほどかしら」
 美女が扇の向こうで小首を傾げる。
 ―――ごぉぉーーーん。
 ―――ごぉぉーーーん。
「あと四つですね」
 娘が杯を置き、神妙な表情【かお】をする。
 ―――ごぉぉーーーん。
 ―――ごぉぉーーーん。
「今年も終わりだな……」
 青年がらしくなくしみじみと呟いき、杯に手酌で酒を注いだ。
 ―――ごぉぉーーーん。
 ―――ごぉぉーーーんんんん。
 最後の鐘の音の余韻をそれぞれ味わっていた静かなる空間に、その余韻を蹴散らすかのようにぱたぱたと忙しない足音が響いてきた。
「うむ。今年も正確だな」
 翁が笑み混じりに感嘆すれば、
「ったく、もう少しくらい余韻に浸らせてくれても良いだろうに」
 青年が子供のようにむぅと顔を顰め、
「なれば、そろそろ今年最初の仕事と参りますかえ」
 美女が微笑みながら裾捌きも美しく席を立ち、
「では、方々。今年も息災で」
 娘が傍らの太刀を腰に挿し、音も無く席を離れ、
 皆がそれぞれ目を向けた先で、彼らの居た空間と『外』の空間を繋ぐ『道』が開かれた。
「4人とも! 今年最初の仕事始めるわよ!! ほら、持ち場に戻って!!!」
 白い着物と紅い袴を身に着けた16、7歳の少女が襖を開け放つように、バンっと『道』を開け放った。『外』から流れてくる気配は、深夜にも関わらず人の気配に溢れた大層な賑やかさだ。
「今年も年明け早々賑やかな事だ」
 しぶとく杯を手にしたまま呆れた口調でのたまう青年の後頭部を少女が容赦なく平手で叩いた。
「愚痴ってる暇があったらさっさと持ち場に戻りなさいよ! 他の3人はもう行ったわよ!!」
 少女の言葉に見回せば、翁も美女も娘も少女がキレる前に持ち場に戻って行ったようだ。青年は、どこか見捨てられたような侘しい気分を味わう。
「しゃーない。仕事するか」
 青年はようよう重い腰を上げ、大儀そうに大きく伸びをする。少女は半眼で睨みつけながらも手早く宴席を片付け、「早く早く」と青年を急かした。
「やれやれ、我らが巫女殿は忙しない」
 腰に手を当て首を振る青年をジロリと睨み、少女は優しいとすら言える声でにっこり微笑む。
「働かざる者食うべからず、よ。稼ぎ時なんだからつべこべ言わないで」
 素早く伸ばした両手で青年の両頬を思いっきり引っ張りながら、少女はさらににこやかに凄んでみせた。
「あと、巫女って言うの止めて。私はた・だ・の・バ・イ・ト・な・ん・だ・か・らっっ!!!」
 未だ祖母の跡を継ぐ事に難色を示している神社の跡継ぎは、そろそろ無駄でしかない主張を諦め悪く続け、青年の背を八つ当たり気味に『外』に押し出した。
「いいから、さっさと仕事に行けっっ!!!!!」
 白い頬を怒りに朱に染める少女にけらけら笑いながら、西を司る神獣白虎は今年最初の風を纏って持ち場に飛んでいった。
 
 
END.

 

 

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