「月の下にて花を愛でる」
 
 日一日と冷え込む大気。
 日一日と高く澄み行く空。
 一陣の風に首を竦めたる者、漂う金色【こんじき】の香りに知らず顔上げその姿探す。
 小さくも華やかな黄金を冠されし汝よ。
 その甘き香にて何れを誘わんや―――
 
 
 
「ぁ……」
 学校から帰宅したリクオは、門扉に手をかけたままふと顔を上げた。微かに大気に混じる甘い香に、その小さくも華やかな愛らしい姿を思い出して、小さく口の端を綻ばせた。
「そっか、もう金木犀の咲く季節なんだ」
 鮮やかに錦広げ色付く庭に視線をやり香り高き姿を探すが、余程奥まった場所に在るのか香りはすれども姿は見えぬ。
「……」
 逡巡は一瞬。リクオはとびきりの悪戯を思いついた子供のように至極楽しげにふわりと笑むと、カタリと音を立てて木戸を押し開いた。
 
 
 
 真円の月が天中を横切る夜半過ぎ、奥庭に気配を感じ踏み入れば、金木犀の幹に背を預け盃を傾ける佳人が一人。白々とした月明かりの下、空から降る黄金【こがね】の欠片を着流しの肩に膝に受け、銀の髪のそのひとは独り手酌で酒を楽しんでいた。
「若。こんなところで一人酒ですか?」
「よぅ、首無し」
 声をかけるよりも先に此方の気配に気づいていた彼の主は、驚いた様子も見せずに口の端に笑みを刷き、盃を持つ手を軽く掲げて見せた。
「もう秋も終わりの季節、外で飲むのは寒いでしょうに」
 自らの上着を脱ぎ着せ掛ければ、漆黒の肩は驚くほど冷えていてつい声音に咎めが混じる。そんな男に、青年と呼ぶにはまだ歳が足らず、少年と呼ぶには深き眼をした主はくつくつ哂って男を見る。
「なぁに、これくらいの涼しい方が酒を飲むには丁度良いってもんよ」
 いつかの彼の祖父のような台詞を言って哂う主に、本当にしようのないひと達だと思いながら、そんな彼等だからこそ主と仰ぐに吝かでもない己こそが一番しようのないと苦笑する。何よりも、過去にも未来にも一片の後悔も無い辺りが全く持ってどうしようもない。もっともそんなどうしようも無い輩は本家には刷いて捨てるほど居て、彼等百鬼夜行の主に本家の者共は皆等しく心底惚れ抜いているのだ。それこそ、最早心底どうしようもないほどに。
「まったく、明日も学校があるんじゃなかったんですか?」
「こんくらいの酒、残りゃしねぇよ」
 振られた小振りの徳利からは、もう僅かな水音しかしない。いつから飲んでいたのかは知らないが、独りでちびちび飲んでいたのならそれなりの時間が経っているだろう。そろそろ引き上げねば、人の部分が風邪を引いてしまいかねない。何せ、目の前の主はその半分以上が人の血で成っているのだから。
「リクオ様、そろそろ部屋に戻りませんと」
 首無しの声音にその心情を読み取ったのか、リクオは一つ肩を竦め、闇に黄金の灯り振り撒く頭上を振り仰いだ。
「学校から帰ってきた時にな、こいつの香りに気づいたんだ。あんまり見事だったから、今夜は此処で一杯やろうと決めたんだよ」
 此方に顔を向け、にっと笑う。片手で自分の横を叩き、艶【あで】やかに笑んだ。
「どうだい、お前さんも花月見酒と洒落込まねぇかい? 二人で飲みゃぁ直ぐ無くなろうさ」
 その言葉に苦笑し、その笑顔に誘われ腰を下ろせば、ひょいっと徳利を差し出される。首無しが懐から取り出した盃に並々と酒を注ぎ、己も手酌で注いだ盃を呷った。
「本当に、良い夜だ」
 伸ばした指先に香しい黄金の花弁を受け、リクオはふわりと笑む。その笑顔を肴に首無しもまた盃に唇を付けた。
 
 
 
 その甘き香に誘われて、寄りて来【きた】るは闇の主が一人。
 一夜明け、その身より香るは金花の欠片。
 

 

 

inserted by FC2 system